幕末から明治初期の数学者。1873年(明治6)の太陽暦採用の任にあたる。通称は恭、のちに弥太郎、字(あざな)は思敬、観斎あるいは宇宙堂を号した。数学を日下誠(くさかまこと)(1764―1839)に習い、関流宗統六伝を受ける。内田は瑪得瑪弟加(マテマテカ)と名づけた塾を開き、多数の弟子を養成した。蘭学(らんがく)を高野長英(ちょうえい)から習い、西洋の知識を吸収した。内田の塾の名で出版した数学書は『古今算鑑』(内田五観著・1832)、『算法開蘊(かいうん)』(剣持章行(けんもちあきゆき)著・1849)など数多くある。また、和田寧(やすし)(1787―1840)のつくった定積分表を『円理闡微表(せんびひょう)』と題してまとめている。明治維新後は、大学助教、文部省出仕、天文局督務その他を歴任し、東京学士会院会員となる。弟子に、剣持章行(1790―1871)、法道寺善(ほうどうじよし)(1820―1868)、桑本正明(1830―1863)、竹内修敬(1815―1874)、その他多数の数学者がいる。
[下平和夫]
幕末から明治初期にかけての数学者,暦学者。通称弥太郎,観(よくみ)または五観といい,字は思敬,号は観斎またはうちだをもじって宇宙堂という。日下誠に数学を習う。高野長英に洋学を学ぶ。内田は数学ばかりでなく天文・地理・測量・蘭学にも通じ,自分の塾を瑪得瑪第加,すなわちマテマテカと称して,多くの子弟を養成するとともに,多数の数学書を自分自身および弟子たちのために出版した。内田の《古今算鑑》(1832)は,各地の弟子が奉納した算額の問題を集めて一書としたものである。難問が多いので有名である。内田は種々のサイクロイドの研究を広め,和田寧から授けられた定積表,すなわち円理表を《円理豁術(えんりかつじゆつ)》にまとめ,弟子に授けた。明治維新後は星学局に入り,編暦の仕事に従事した。1873年の太陽暦採用の主役を務めた。79年に東京学士会院会員となる。
執筆者:下平 和夫
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(内田正男)
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…これらの積分表を円理豁術あるいは円理表という。内田五観は和田寧から円理表を教わり,これらを整理しなおして,《円理闡微表》にまとめ,弟子に配布した。内田によって円理表は広く行き渡った。…
…
[幕末の和算]
安島直円の弟子日下(くさか)誠(1764‐1839)は,多くの数学者を育てた。和田寧(1787‐1840),長谷川寛(1782‐1838),内田五観(1805‐82)らである。和田は数多くの定積分表を作製し,それを弟子に与えた。…
※「内田五観」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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