朝日日本歴史人物事典 「藤川三渓」の解説
藤川三渓
生年:文化13.11.24(1817.1.11)
幕末の勤皇家,明治期の在野の水産界先覚者。高松藩士。讃岐国山田郡三谷村(高松市)生まれ。名は忠猷。天保12(1841)年に長崎の兵学者高島秋帆に入門し,砲術,海利を学び,翌年肥前の五島で捕鯨銃殺法を修得。明治6(1873)年開洋社を設立し,お雇い外国人と共に洋式捕鯨に着手するが失敗。同20年,東京にわが国初の大日本水産学校開校。しかし同年官立東京農林学校水産科開設のため1年足らずで閉校。同22年大阪に水産学校創立,同年74歳で没。著作に『捕鯨図識』『海国急務』『水産図解』『水産製造新編』『漁撈新論』などがある。<参考文献>片山房吉「藤川三渓小伝」(『大日本水産会報』664,665号),天川維文『藤川三渓・人と業績』
(伊藤康宏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報