藤森荒神社跡(読み)ふじのもりこうじんしやあと

日本歴史地名大系 「藤森荒神社跡」の解説

藤森荒神社跡
ふじのもりこうじんしやあと

[現在地名]高松市磨屋町

高松城南の外磨屋そととぎや町の中ほどにあった。祭神は奥津彦命と奥津姫命。創始年代は不明。境内藤蔓が繁茂していたので藤森荒神社といわれるようになった(讃岐国名勝図会)。生駒氏時代屋敷割図には荒神社と、その境内にいま井戸が記され、「此井家中町中御用」とある。今井戸はてら町のここのッ井などと同じ水脈上にあり、良質の水が得られたので生駒氏時代は重要な水源であったが、正保元年(一六四四)上水道が整備されて南の亀井かめいしん井戸に水利の中心が移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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