20世紀日本人名事典 「虎居徳二」の解説 虎居 徳二トライ トクジ 明治・大正期の官僚 英文極東案内の編纂者。 生年明治3年11月8日(1870年) 没年大正4(1915)年8月31日 出生地鹿児島県 旧姓(旧名)青山 学歴〔年〕台湾国語学校卒 経歴薩摩鹿児島藩士・青山良啓の二男に生まれ、のち虎居家を継ぐ。造士館を中退、台湾国語学校を卒業し、台湾総督府、鉄道院に務める。明治34年特別任務を受け華南に赴き数年間滞在する。のち後藤新平の命で、英文による中国交通案内記を刊行のために中国各地を調査、約8年間を費やして英語版「極東交通案内」の原稿を完成したが、この編纂で健康を害し、脱稿直後の大正4年8月病死した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「虎居徳二」の解説 虎居徳二 とらい-とくじ 1870-1915 明治-大正時代の官吏。明治3年11月8日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士の子。造士館を中退,台湾国語学校を卒業し,台湾総督府,鉄道院につとめる。後藤新平の命で,英文による中国交通案内記刊行のため中国各地を調査,英語版「極東交通案内」の原稿を完成したが,その直後の大正4年8月31日病死。46歳。旧姓は青山。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by