日本歴史地名大系 「虎屋町」の解説
虎屋町
とらやちよう
中京区烏丸通御池下ル
南北に通る
平安京の条坊では、町の西側が左京三条三坊三保一一町東、東側が同一四町西。平安中期以降は三条坊門烏丸小路の南にあたる。
「東寺長者補任」巻二に「大治二年十二月二十七日、於三条坊門烏丸宿所能遠朝臣家太上法皇祈修秘法」とあり、当町付近に藤原能遠の家があった。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「虎屋町」とあり、筆描図系の絵図では以降変化はない。木版図系の絵図では、寛永一八年以前平安城町並図に「二条殿町」、寛永版平安城東西南北町並之図・承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「とらや町」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報