御池通(読み)おいけどおり

日本歴史地名大系 「御池通」の解説

御池通
おいけどおり

平安京の三条坊門小路さんじようぼうもんこうじにほぼ該当し、押小路おしこうじ(現押小路通)姉小路あねこうじ(現姉小路通)の間にある東西通り。「坊目誌」は、「東は木屋町に起り、西は神泉苑町西入に至り、葛野郡界に接す。(中略)寺町以東は明治二年寺域を上地し、四年河原町に勧業場を設くるに際し、新道を開く。二十七年之を附替へ議事堂今市役所内を建設す。此時通す」と沿革を記す。

応仁・文明の乱による荒廃後、天正年間(一五七三―九二)豊臣秀吉の京都市街改造によって再開されるが、江戸時代に入っても、旧名の三条坊門通と、御池通の呼称は併用され、別に八幡町通とも称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「御池通」の意味・わかりやすい解説

御池通
おいけどおり

京都市の鴨川(かもがわ)からJR山陰本線二条駅前まで、市街を東西に通ずる道路。御池通と河原町(かわらまち)通とが交差する地点には京都市役所、京都ホテルオークラがある。第二次世界大戦中の強制疎開によって戦後は幅員50メートルの幹線道路となり、祇園(ぎおん)祭、時代祭の行列も観光客のために御池通を通るようになった。市営地下鉄東西線が通り、烏丸(からすま)御池駅で市営地下鉄烏丸線と接続する。

織田武雄

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御池通」の意味・わかりやすい解説

御池通
おいけどおり

京都市の市街地中央部を東西に通じる広い街路。東は鴨川から西は天神川まで。長さ 4.7km。河原町通堀川通との間は,第2次世界大戦末期の家屋疎開により拡張されたのを受けて,戦後幅 50mの大通りとして整備され,五条通とともに京都市街を東西に通じる幹線街路となっている。沿道には市役所,本能寺,神泉苑などがある。毎年7月 17日には祇園祭の山鉾巡行路となる。

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