蚊野村(読み)かのむら

日本歴史地名大系 「蚊野村」の解説

蚊野村
かのむら

[現在地名]玉城町蚊野

国束くづか山塊の北麓にあり、北方には外城田ときだ川の沖積低地が開ける。沖積低地には条里制遺構も認められ、はちつぼの字名もある。康永三年(一三四四)の法楽寺文書紛失記(京都市田中忠三郎氏蔵文書)に「一畠地弐段 在度会郡蚊野村字栗生垣」と記されている。もりに皇大神宮摂社蚊野神社がある。「皇太神宮儀式帳」に「蚊野社一処称大神御蔭川神」とある。ぼうず山には寛正年間(一四六〇―六六)北畠氏が館を置いた。蚊野を挟んで東の野篠のじのから西のはらまで約三キロの松原は蚊野松原といわれた(西国三十三所名所図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む