蚕養分
こがいぶん
[現在地名]会津若松市蚕養町・滝沢町・昭和町
東は滝沢村、西は上河原分、南は滝沢町、北は藤原村に接する若松町分の一つで東黒川に属する。しかし「新編会津風土記」は「俗に蚕養分と称ふれとも自ら村と称して町分の数に非す」と記し、蚕養宮村と題している。区域内に蚕養国神社があるので蚕養分といい、村と町と双方の性格があり、化政期には村落に家数九、若松城下の入口蚕養口に四〇、他は市中に雑居して民居は合計九四という(同書)。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では蚕養宮村としている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録には小貝宮とあり、高一八七石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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