日本歴史地名大系 「蛇沢村」の解説 蛇沢村へびさわむら 福島県:田村郡三春町蛇沢村[現在地名]三春町蛇沢柴原(しばはら)村の西、西方(にしかた)村・鷹巣(たかなす)村の東、貝山(かいやま)村の南、大滝根(おおたきね)川の北岸で、村内を蛇沢川が南流して大滝根川に合流。永禄四年(一五六一)六月二三日の熊野山新宮年貢帳(仙道田村荘史)では「三段 二百九十文 へひやさわ」とみえ、天正一八年(一五九〇)一〇月九日の熊野新宮領差出帳(片倉文書)では「蜂屋沢分」と記される。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では中津間(なかつま)の高二千一二八石余に含まれる。 蛇沢村へびさわむら 栃木県:黒磯市蛇沢村[現在地名]黒磯市寺子(てらご)白河(しらかわ)丘陵の南部にあり、東は南流する黒(くろ)川を隔てて芦野(あしの)町・岩崎(いわざき)村、南は沼井(ぬまのい)村(以上現那須郡那須町)、西・北は寺子村。山林が九割を占め、南東に「きふよしかけ」という倉山がある。古くは梅(うめ)ヶ久保(くぼ)村と称したらしい。天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「蛇沢」がみえ、赤沼(あかぬま)・石田坂(いしなざか)、法師畑(ほうしばた)(現那須町寺子乙)とともに九五石三斗二升(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。近世は黒羽藩領。慶安郷帳では記載を欠く。慶長九年(一六〇四)頃奥州街道が村内を北東から南西に通り、こののち集落は街道沿いに移った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by