寺子村(読み)てらごむら

日本歴史地名大系 「寺子村」の解説

寺子村
てらごむら

[現在地名]那須町寺子乙てらごおつ寺子丙てらごへい・寺子、黒磯市寺子

高久たかく(組)の東方、余笹よささ川流域を中心に散在する諸村の総称で、近世黒羽藩領。これら諸村は同藩の「創垂可継」封域郷村誌巻二では寺子組に属し、荒屋(廃村)望田もちだ熊久保くまくぼ時庭ときにわ落合おちあい田中たなか秋山沢あきやまさわ狸久保むじなくぼ戸生とのう(戸能)黒田くろだ針生はりゆう石田坂いしなざか上川袋かみかわぶくろ(上川)下川(下川)白井しろい法師畠ほうしばた(法師畑)小羽入こばにゆう羽原はばら前久保まえくぼ藤塩ふじしお立岩黒川端くろかわばた赤沼あかぬま小島こじま蛇沢へびさわの二五ヵ村と本村の合せて二六ヵ村で編成された。このうち同巻一では荒屋以下一一ヵ村がはら村の、石田坂以下六ヵ村がななヶ村の、羽原以下四ヵ村が松子まつご(本村は高久組に属する)の枝村として載り、小島蛇沢・本村の三ヵ村は独立村として扱われる(黒川端・赤沼は記載を欠く)


寺子村
てらごむら

[現在地名]黒磯市寺子、那須郡那須町寺子・寺子乙てらごおつ寺子丙てらごへい

白河しらかわ丘陵南部にあり、北東余笹よささ川が南流する。南は杉渡戸すぎわたど村、北・西ははら(現那須町)。奥州街道が北東へ通り、江戸日本橋より四二番目の一里塚があった。会山えさん寺境内地蔵堂の地蔵尊胎内銘に「文亀二年佐竹下ス」とあり、当時常陸の佐竹氏支配下にあったらしい。寛文四年(一六六四)の黒羽藩領知目録(黒羽町蔵)に村名がみえる。村名は文亀元年(一五〇一)創建の真言宗智山派会山寺にちなむとされる(那須郡誌)。「創垂可継」によれば、黒羽藩では当村ほか二五の村あるいは枝村を寺子組として把握していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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