蛭谷村(読み)ひるたにむら

日本歴史地名大系 「蛭谷村」の解説

蛭谷村
ひるたにむら

[現在地名]永源寺町蛭谷

箕川みのかわ村の北東御池おいけ川上流の谷間にある。西は筒井つつい峠を越え大萩おおはぎ(現愛知郡愛東町)、東はきみはた村。枝郷として筒井がある(木間攫)。天文七年(一五三八)一二月二日の畠地売券(黄和田共有文書)では「蛭谷」の五郎左衛門から畠一ヵ所が大岩氏へ売渡されている。天文八年正月二〇日の杉林売券(黄和田共有文書)にみえる「石かたき」は当村内いしたきをさす。


蛭谷村
びるだにむら

[現在地名]朝日町蛭谷

小川おがわ谷の右岸にあり、北は篠川ささがわ村・石谷いしたに村、西は山崎やまざき村、南は黒部奥山。南保なんぼ村の出村という。近在では「びるだん」とよんだ。正保郷帳では高六一石余、田方一町余・畑方三町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一一四石、免四ツ七歩、小物成は山役四〇匁・蝋役八匁・鮎川役一匁・薪ころ役八二匁(三箇国高物成帳)。元禄四年(一六九一)四七石の引高があり、享保八年(一七二三)から五回の増高により、天保一一年(一八四〇)の草高八一石余で、同九年四歩の手上免があった(「高免帳」杉木家文書)。黒部奥山と接しているため、慶安二年(一六四九)加賀藩は他国者を侵入させないよう当村に鉄砲を下付している(「御国境沼保元組御用勤方等書上申帳」黒部奥山廻記録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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