惟喬親王墓(読み)これたかしんのうのはか

日本歴史地名大系 「惟喬親王墓」の解説

惟喬親王墓
これたかしんのうのはか

[現在地名]左京区大原上野町

村の東南、小野おの山の山麓にある高さ約一・五メートルの五輪塔。親王の墓と伝える。

文徳天皇は第一皇子惟喬親王を皇太子にしようとしたが生母が紀氏であり、後に皇后藤原明子に惟仁親王(清和天皇)が生れたため実現せず、親王は出家して小野に幽居したといわれる。この小野に幽居した親王を訪ねた在原業平の歌が「古今集」巻一八にある。

<資料は省略されています>

このことは、「伊勢物語」八三段にもみえるが、惟喬親王が幽居した小野については種々の説があり、京都周辺の山間村落に数々の惟喬親王伝説が伝えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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