蜂須賀宗英(読み)はちすか むねてる

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜂須賀宗英」の解説

蜂須賀宗英 はちすか-むねてる

1684-1743 江戸時代中期の大名
貞享(じょうきょう)元年4月9日生まれ。蜂須賀隆喜の3男。蜂須賀忠英(ただてる)の孫。蜂須賀宗員(むねかず)の養子となり,享保(きょうほう)20年(1735)阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀家7代。翌年幕府から大井川堤防の補修を命じられ,藩財政は窮迫した。寛保(かんぽう)3年2月30日死去。60歳。幼名は勘次郎。号は無等軒。

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367日誕生日大事典 「蜂須賀宗英」の解説

蜂須賀宗英 (はちすかむねてる)

生年月日:1684年4月9日
江戸時代中期の大名
1743年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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