蜂須賀綱矩(読み)はちすか つなのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜂須賀綱矩」の解説

蜂須賀綱矩 はちすか-つなのり

1661-1730 江戸時代前期-中期大名
寛文元年5月28日生まれ。蜂須賀隆矩の長男蜂須賀綱通(つなみち)の養子となり,延宝6年(1678)阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀家5代。後見の伯父蜂須賀隆重(たかしげ)に新田5万石を分与し富田(とみだ)藩がたてられた。享保(きょうほう)13年職を辞し,出家して操山と号した。享保15年11月7日死去。70歳。幼名は熊太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「蜂須賀綱矩」の解説

蜂須賀綱矩 (はちすかつなのり)

生年月日:1661年5月28日
江戸時代中期の大名
1730年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む