蜷川親俊 にながわ-ちかとし
?-1569 室町-戦国時代の武将。
蜷川親長の父。家職の室町幕府政所代(まんどころだい)をつぎ,伊勢貞孝にしたがって将軍足利義輝につかえる。晩年は出羽(でわ)におもむき,永禄(えいろく)12年11月14日村山郡(山形県)で死去。連歌をよくした。「親俊日記」は当時の幕政を知る貴重な史料である。名は親世(ちかよ)とも。法名は道哉。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の蜷川親俊の言及
【蜷川親俊日記】より
…室町幕府12代将軍足利義晴の時期に政所代(まんどころだい)をつとめた蜷川親俊(?‐1569)の日記。1538年(天文7)より42年までの自筆日記と49年より52年の残簡が残る。…
※「蜷川親俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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