伊勢貞孝(読み)いせ・さだたか

朝日日本歴史人物事典 「伊勢貞孝」の解説

伊勢貞孝

没年永禄5.9.11(1562.10.8)
生年:生年不詳
戦国時代の幕府吏僚。貞忠の子。又三郎,兵庫助,伊勢守。従四位下。天文4(1535)年,室町幕府政所執事に就任。財政徳政令の処理を管掌将軍足利義輝の近江逃亡後,同20年に幕府から離れて三好長慶の政治顧問となり裁判事務にも携わる。永禄1(1558)年末,将軍の還京後執事に復帰したが義輝との間に確執があり,同5年謀反のかどで子貞良と共に討たれた。三好政権を補佐した幕臣として特異な存在といえよう。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊勢貞孝」の解説

伊勢貞孝 いせ-さだたか

?-1562 戦国時代の武将
伊勢貞忠養子。将軍足利義晴につかえ,天文(てんぶん)4年政所(まんどころ)執事。義晴の死後はその子義輝(よしてる)を扶翼する。義輝が京都から逃亡すると三好長慶(ながよし)を補佐し,義輝の帰還後は執事に復帰。長慶の養子義継(よしつぐ)の叛意を義輝につたえるが,逆に謀反の疑いをうけ,永禄(えいろく)5年9月11日子の貞良とともに討たれた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊勢貞孝の言及

【伊勢氏】より

…室町期の武家。幕府政所(まんどころ)執事の家系。桓武平氏の出自といわれ,鎌倉後期に足利氏に仕えて伊勢守の官途を受け,伊勢姓を称した。鎌倉末期には伊勢宗継が上総守護代を務めている。室町幕府成立後は,将軍子息の養育をつかさどり,殿中惣奉行,御厩別当を歴任したとの伝承があるが詳細不明。 1379年(天授5∥康暦1)4月,康暦の政変によって斯波義将が管領に就任すると,二階堂氏が更迭された跡を襲って初めて政所執事に起用された。…

※「伊勢貞孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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