血縄遺跡(読み)ちなわいせき

日本歴史地名大系 「血縄遺跡」の解説

血縄遺跡
ちなわいせき

[現在地名]橋本市隅田町中下

紀ノ川右岸の標高九五―九八メートルの河岸段丘上にある。遺跡の南端は紀ノ川に深く浸食されて約一八メートルの崖となり、西端は紀ノ川に注ぐ高橋たかはし川の深い渓谷、北側は比高約二・五―三メートルの自然堤防で、東西約三〇〇メートル、南北約一〇〇メートルの範囲に弥生時代後期前半の土器散布。昭和三五年(一九六〇)試掘、同四八年の発掘調査により多量の土器片が出土し、竪穴住居などの遺構は泥岩系統の岩盤上に堆積した黄褐色シルトや砂礫層・砂層を掘込んで設けられていた。土器は渦頭文などを施した壺・甕・高坏・鉢・甑・器台・蓋のほかミニチュアの壺形土器が確認されており、石器は少ない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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