( 1 )平安時代中期以降、公式の儀礼の性格を有する外出として、天皇の「行幸」、上皇、法皇、女院の「御幸」とともにそれぞれ明確に識別されて用いられた。中国の文献に、「行幸」、「御幸」の語は認められるが、「行啓」については未見であり、和製漢語の可能性もある。
( 2 )読み方については、「平家正節‐炎上物」が濁符によって「ぎゃうげい」と読むが、「平家物語指南抄」は「行啓(ギャウケイ) 行けいとけの字すみたるよし、にごるあし」とするように、「ぎゃうげい」、「ぎゃうけい」と両様の読み方が存したと考えられる。また、「名目抄」では、この両様の読み方を示す。
…洋式馬車の採用は1871年,自動車は1913年に始まり,汽車の乗用は1872年の新橋・横浜間鉄道開業式,飛行機の搭乗は1954年北海道巡幸の帰途の千歳・羽田間を最初とする。皇后・皇太后・皇太子などの出行を行啓と称することは,平安時代以来慣例となったが,明治以降はこれが公称となった。行啓の範囲も明治になって一挙に拡大され,とくに皇太子の行啓は,見学・視察を目的として全国に及んだ。…
※「行啓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新