表慈恩寺村
おもてじおんじむら
[現在地名]岩槻市表慈恩寺・諏訪・上里・東岩槻
上野村の東、元荒川左岸の慈恩寺台地と谷地に立地し、集落は台地上に形成されている。日光御成道が通る。北と南を当村に囲まれるように古刹慈恩寺の所在する慈恩寺村があり、さらにその北に裏慈恩寺村がある。中世にはこの三村域を含んだ一帯は太田庄に属した。江戸時代初期には三村に分立しておらず、田園簿には岩槻藩領で高九七三石余(田方五〇一石余・畑方四七二石余、ほかに慈恩寺領一〇〇石)の慈恩寺村一村が載る。「寛文朱印留」でもまだ分立していないが、延宝八年(一六八〇)の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)には表・裏の慈恩寺村がみえるので、この頃までに慈恩寺領一〇〇石のみからなる慈恩寺村を合せ三村に分立していたようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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