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亀田鵬斎 かめだ

美術人名辞典の解説

亀田鵬斎

江戸後期の儒者。江戸生。名は長興、字は穉龍、別号に善身堂。儒学を井上金峨に学び、20余才で塾を開く。詩文を能くし、また書にも秀でる。一生官に仕えず下町の儒者として経書を講じ、松平定信寛政異学の禁に際しては反対論を唱えて、異学五鬼の一人として注目をあつめた。文政9年(1826)歿、75才。

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デジタル大辞泉の解説

かめだ‐ほうさい【亀田鵬斎】

[1752~1826]江戸後期の儒学者。江戸の人。名は長興。別号、善身堂。井上金峨に学ぶ。朱子学を批判し、異端者として寛政異学の禁に触れ、門人を失った。書・詩作にもすぐれた。著「論語撮解」「善身堂一家言」など。

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百科事典マイペディアの解説

亀田鵬斎【かめだほうさい】

江戸後期の儒(折衷)学者。江戸の人。名は長興(ながおき)。善身堂(ぜんしんどう)とも。井上金峨(きんが)に学び,荻生徂徠(おぎゅうそらい)の古文辞を排撃し,欧陽修(おうようしゅう)などの学に親しんだ。
→関連項目山本北山

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

亀田鵬斎 かめだ-ほうさい

1752-1826 江戸時代中期-後期の儒者。
宝暦2年10月4日生まれ。井上金峨(きんが)にまなび,江戸で塾をひらく。生涯仕官せず,寛政異学の禁では,同門の山本北山らとともに反対し,下町儒者の巨頭と目された。文政9年3月9日死去。75歳。江戸出身。名は長興。字(あざな)は穉竜。通称は文左衛門。別号に善身堂。著作に「論語撮解」「大学私衡」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

亀田鵬斎

没年:文政9.3.9(1826.4.15)
生年:宝暦2.9.15(1752.10.21)
江戸中・後期の儒学者。折衷学派。名は長興,字は穉竜,通称文左衛門,号は鵬斎,善身堂。日本橋横山町の鼈甲商長門屋の番頭万右衛門の子として江戸の神田に生まれた。14歳で折衷学者井上金峨に入門し,安永の初めごろ私塾を開き徐々に名声を得たが,寛政異学の禁(1790)で「異学」の烙印を押され,「五鬼」のひとりに数えられて一時は門人が激滅し貧窮にあえいだ。しかしその後は書と詩文で再び名声を得たが,酒にひたる生活を送った。山本北山とは同年で親密であった。門人に東条一堂などがいる。著書は『大学私衡』『善身堂一家言』『黍稷稲粱弁』『侯鯖一臠』『鵬斎先生文鈔』『善身堂詩鈔』など多数。生涯にわたってしばしば転居を繰り返し,駿河台,馬喰町,下谷金杉などに住んだが,最後は下谷根岸の家で没し,浅草今戸の称福寺に葬られた。<参考文献>杉村英治編『亀田鵬斎』,倉田信靖・橋本栄治『井上金峨・亀田鵬斎』

(梅澤秀夫)

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世界大百科事典 第2版の解説

かめだほうさい【亀田鵬斎】

1752‐1826(宝暦2‐文政9)
江戸後期の儒者。折衷学派。名は長興(興),字は穉竜,通称は文左衛門,号は鵬斎,善身堂。江戸の商家の生れで,井上金峨に学び,江戸の五鬼の一人に挙げられる。詩文や書もよくした。寛政異学の禁に抵抗して節を曲げず,ために塾生を失い,帰耕の賦を詠んで詩と酒の生涯を過ごした。著書に《善身堂一家言》《大学私衡》《中庸弁義》《鵬斎詩鈔》《善身堂文集》などがある。【衣笠 安喜

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大辞林 第三版の解説

かめだほうさい【亀田鵬斎】

1752~1826) 江戸後期の儒者。江戸神田生まれ。書を三井親和に、儒学を井上金峨に学ぶ。下町の文人儒者として、経書を講じ多くの書・詩文を作った。著「論語撮解」「善身堂詩鈔」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

亀田鵬斎
かめだほうさい

[生]宝暦2(1752).10.4. 江戸
[没]文政9(1826).3.9. 江戸
江戸時代後期の儒学者。名は初め翼,のち長興 (略して興) ,字は初め図南,のち遅龍,別号は善身堂,幼名は弥吉,のち文左衛門と称する。井上金峨に学び,二十余歳で塾を開く。程朱の学を宗とせず,寛政の異学の禁にあたり,異端の第1と目された。著作『善身堂一家言』『大学私衡』『中庸説』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

亀田鵬斎
かめだほうさい
(1752―1826)

江戸後期の儒学者。折衷(せっちゅう)学派。名は翼、のち長興(ながおき)、字(あざな)は穉竜(ちりゅう)、通称は文左衛門。鵬斎はその号で、善身堂とも称した。江戸・神田の人で、商家の出身。折衷学者井上金峨(いのうえきんが)に学び、博識で自由な学風で知られた。詩のほか書画をよくしたが、とくに書に優れ、草書では近世を通じての名手と評価される。寛政(かんせい)異学の禁(1790)では、江戸異学の五鬼の一人に数えられ、禁圧に強く抵抗したために、その門下生の仕官や昌平黌(しょうへいこう)入学を禁じる内達が出され、塾生は一時四散してしまったと伝える。晩年は詩と酒の生活であった。『論語撮解(さっかい)』『大学私衡(しこう)』『中庸弁義』『善身堂一家言』『善身堂文集』『鵬斎詩鈔(ししょう)』などの著作がある。[衣笠安喜]

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