袋川(読み)ふくろがわ

日本歴史地名大系 「袋川」の解説

袋川
ふくろがわ

鳥取・兵庫両県境のおうぎノ山(一三〇九・九メートル)北西麓に源を発し、国府こくふ雨滝あめだきを経て西流、木原きはら付近で流れを南西に転じ、中河原なかがわらで西流してきた上地わじ川と合流、やや西流したのち吉野よしので北西に転じ、美歎みたに川などを合せながら大杙おおくいで鳥取市に入り、さらに北西流して古市ふるいち千代川に合流する。千代川水系の一級河川で流路延長二四・四キロ、流域面積九五・五平方キロ。大杙から北に一級河川旧袋きゆうふくろ川が分岐している。同川は流路延長七・六キロ、流域面積三三・一平方キロ。昭和九年(一九三四)大杙―古市間の新流路(新袋川)が完成する以前の袋川下流はこの旧袋川の流路を流れており、鳥取の市街地を蛇行しながら北西流し、千代川河口に近い鳥取市浜坂はまさか付近で千代川に注いでいた。

平安時代後期には流域の郡名をとり法美ほうみ川とよばれ、中流域にあった因幡国府(現国府町)と日本海に面する千代川河口の賀露かろ湊を結ぶ水上交通路であったと考えられる。承徳三年(一〇九九)任国因幡に下向した国司平時範は、二月二六日国府から「法美川」を船で下り、三嶋みしま社・賀呂かろ(現賀露神社)に参拝した(時範記)。戦国時代末期には下流は鳥取城のある久松きゆうしよう山南麓を流れており、みなと川ともよばれていたらしい(太閤記)。天正九年(一五八一)羽柴秀吉の鳥取城攻めの際、城は「田間八町ヨリ外ニ袋川水堀之如ク有之」ので羽柴方の諸将は川を前に陣を置き、川には乱杭縄網を張って城を厳重に封鎖した(寛永二一年「山県長茂覚書」吉川家文書)。鳥取開城後から慶長五年(一六〇〇)に至る宮部氏時代の鳥取城の内堀は、袋川の旧流路(いわば古袋川筋)を利用したものと考えられるが、湊川はその南西方を蛇行しつつ西流していたらしい(鳥府志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の袋川の言及

【鳥取[市]】より

…市域は千代(せんだい)川下流部の鳥取平野と周辺の山地からなり,県の政治,経済,文化の中心的役割を果たしている。千代川東岸の低湿な三角州に位置する中心市街地は,近世には池田氏の城下町で,袋川下流部の河道を付け替え,池沼などを埋め立てて形成された。1871年鳥取県が成立したが,75年からの5年間は県全体が島根県の管轄下におかれ,松江に中心が移ったため,鳥取の町は一時さびれた。…

※「袋川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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