日本歴史地名大系 「裏慈恩寺村」の解説 裏慈恩寺村うらじおんじむら 埼玉県:岩槻市裏慈恩寺村[現在地名]岩槻市裏慈恩寺慈恩寺村・表慈恩寺(おもてじおんじ)村の北、慈恩寺台地と谷地に立地し、集落は台地上に形成されている。日光御成道が通る。江戸時代初期には慈恩寺村一村であったが、延宝八年(一六八〇)頃までに三村に分立。同年の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)によると高五〇三石余、家数二七(本百姓二三・分ケ地三・水呑一)、人数二二五、岩槻藩領で地方支配は高岩(たかいわ)筋所属。以後の領主の変遷は表慈恩寺村に同じ。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳では表・裏の慈恩寺村が慈恩寺村一村として扱われている。宝永期(一七〇四―一一)の岩槻藩五ヵ筋村高帳でも同高、うち七〇石は名主・組頭高引。地方支配は上野(うえの)筋所属。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by