裏館村
うらだてむら
[現在地名]三条市
東裏館一―三丁目・
西裏館一―三丁目・
荒町一―二丁目・
元町・
本町六丁目・
林町二丁目・
横町二丁目・
旭町一―二丁目・
居島・
興野一―二丁目・
新光町・
嘉坪川一丁目
三条町・一ノ木戸村の北、信濃川へ注ぐ五十嵐川の河口近くに位置し、東は田島村、西は荒町村。「浦館村」とも記し、近世初期には三条町または三条村とよばれた。中世には三条島ノ城の城下に包含されていた地域で、天正五年(一五七七)の三条領闕所帳および三条衆給分帳(ともに市川浩一郎氏蔵)に、飯塚市右衛門分・黒井弥七郎分として「三条裏門」「三条之内裏門」がみえる。これは現西裏館地区の小字裏門と一致。また西裏館には大浦・殿町もある。中世には三条島ノ城とこの裏門・大浦との間を五十嵐川(ほぼ現在の信濃川の河道に相当)が流れており、その右岸に浦館という中世土豪の居館があったとみられる。なお東裏館の善性寺地域からは平安時代の土師器が出土している。
慶長三年(一五九八)堀直政領となる。その後松平重勝を経て元和二年(一六一六)入封した市橋氏は、城を須頃島から裏館の南端およびのちの三条町の北端にあたる地に移し、裏館地域はその城下となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 