改訂新版 世界大百科事典 「裴秀」の意味・わかりやすい解説 裴秀 (はいしゅう)Péi Xiù生没年:224-271 中国,魏・西晋の官僚,地理家。河東聞喜(山西省)の人。字を季彦という。若くして俊秀の誉れ高く,魏の曹爽に仕え,その死後は敵対勢力司馬昭のもとにあって,散騎常侍,尚書僕射となった。魏より西晋への変動期は武帝を擁立,左光禄大夫,鉅鹿郡公,司空を歴任した。職掌上《禹貢地域図》18編をつくり,序文に地図作成の準則六体(分率,準望,道里,高下,方邪,迂直)を示し,方丈図(一寸百里)をつくった。この準則は明末のヨーロッパ製図法が入ってくるまで,中国の地図製作の基本準則となった。執筆者:船越 昭生 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「裴秀」の意味・わかりやすい解説 裴秀はいしゅうPei Xiu; P`ei Hsiu [生]黄初5(224)[没]泰始7(271)中国,三国の魏,西晋 (→晋) の貴族,地理学者。河東聞喜 (山西省聞喜県) の人。字は季彦。魏の権臣曹爽の部下となったが,その死後爽の政敵司馬昭のもとに走り,重んじられた。魏末,官制改革を検討し,また司馬炎 (→武帝) が文王司馬昭の世子となるのに功があった。西晋になると武帝のもとで尚書令,司空となった。地理学に造詣深く,『禹貢地域図』 (18編) を作成。中国地図学の祖といわれる。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by