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裴頠 はいぎPéi Wěi

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世界大百科事典 第2版の解説

はいぎ【裴頠 Péi Wěi】

267‐300
中国,西晋の河東(山西省)聞喜の人。字は逸民。父,裴秀は鉅鹿郡公に封ぜられ,司空を授けられた大政治家であり,彼もまた国子祭酒,尚書左僕射として活躍した。若いころから博学で名をはせ,礼学,医学にも明るく,礼制,儒学の復興に力があった。当時,世俗は儒学を好まず,風俗は放蕩に流れ,何晏,阮籍をはじめとする清談家が輩出して老荘虚無の思想を唱えた(七賢人)。裴頠はそれに反対して《崇有論》を著し,〈無〉は〈有〉を生むことはできない,〈有〉が万物の存在と変化の根本であることを説いた。

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世界大百科事典内の裴頠の言及

【玄学】より

…とくに王弼は,聖人を〈無〉を体得しながら,しかも喜怒哀楽の情によって万物に感応するものと考えたが,これは東晋の孫綽(そんしやく)の〈喩道論〉が,仏は道を体得しながらしかも衆生に感応して教え導くもの,と説くことにそのまま通じ,玄学的理解は,儒家と道家の一致だけではなく,儒仏道三教一致論の理論的基礎をも用意したといえる。何晏や王弼の学風は,かれらが正始時代(240‐248)に活躍したところから〈正始の音〉とか〈正始の風〉とかよばれて後世の清談家たちから慕われたが,その一方,西晋の裴頠(はいき)の〈崇有論〉や東晋の王坦之の〈廃荘論〉はかれらの哲学的立場を批判し,また東晋の范寧(はんねい)の〈王弼何晏論〉は,仁義礼楽の破壊者として2人の罪をそしった。何晏や王弼にややおくれてあらわれた竹林の七賢(七賢人)の巨頭である阮籍(げんせき)は《通易論》《通老論》《達荘論》等を,おなじく嵆康(けいこう)は《釈私論》《声無哀楽論》等を著して,老荘的自然の立場から儒家的名教をするどく批判した。…

※「裴頠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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