西三川村(読み)にしみかわむら

日本歴史地名大系 「西三川村」の解説

西三川村
にしみかわむら

[現在地名]真野町西三川

北は田切須たぎりす村、南は高崎たかさき村、東は笹川十八枚ささがわじゆうはちまい村。真野湾を外れたすぐ南の海岸沿いにある。鉄砲てつぽう鼻と潮掛しおかけ鼻の突出部に挟まれた小湾が西三川湾で、東方から経塚きようづか山に源を発する金山きんざん川が西三川川となって海に注ぐ。現国道三五〇号は海辺沿いの段丘上から下りて西三川川の地点から海辺を南の方へと続く。集落は段丘上に多く点在するが、西三川川河口の横浜よこはまに明治一一年(一八七八)開拓の民家が数戸ある。延宝六年(一六七八)の用水取替証文(高柳茂巳氏蔵)によると、西三川金山右之沢山主は、当村百姓の新田開発の申出を受け、金山より江筋をつけることを許可している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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