西三条内裏跡(読み)にしさんじようだいりあと

日本歴史地名大系 「西三条内裏跡」の解説

西三条内裏跡
にしさんじようだいりあと

三条室町殿さんじようむろまちどのともよばれ、白河法皇の住した最後の院御所。「百錬抄」大治元年(一一二六)八月一〇日条に「太上法皇渡御新造室町殿、号泉殿、顕隆卿造進之」とあり、この時権中納言藤原顕隆によって造営されたのが初めと思われる。「拾芥抄」東京図は三条大路北、烏丸小路西の方一町に「西三条内裏」と記す。これは現柿本かきもと町南側を中心に、場之ばの町・御倉みくら町・役行者えんのぎようじや町の一部にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む