西上坂村(読み)にしこうざかむら

日本歴史地名大系 「西上坂村」の解説

西上坂村
にしこうざかむら

[現在地名]長浜市西上坂町・千草町ちくさちよう

あね川左岸、榎木えのき村の東に位置し、南は春近はるちか村。枝郷苅又かりまたがある。中世は東上坂村も含め一帯上坂郷として推移した。文明一一年(一四七九)には姉川を挟んで北の三田みた村・(現東浅井郡浅井町)と激しい水論が起こっている(浅井町の→三田村。戦国期には上坂氏が勢力を有した。天正八年(一五八〇)一〇月、同氏は羽柴秀長より但馬に三〇〇石を与えられたが(「羽柴秀長宛行状」上坂文書)、豊臣政権期には当地に「手作分公事役等」の免除特権を得て百姓となった(同文書)。寛永石高帳では高六三三石余とあるが、一千六三三石の誤記と思われ、彦根藩領。寛文四年(一六六四)の彦根領分高帳(間塚文書)によると定免で四ツ二分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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