西下郷庄(読み)にししもざとのしよう

日本歴史地名大系 「西下郷庄」の解説

西下郷庄
にししもざとのしよう

「吾妻鏡」の文治四年(一一八八)六月四日条に載る五月一二日付の後白河法皇院宣案に西下郷とみえ、法皇は梶原景時による西下郷などへの押領を停止するように鎌倉幕府に命じている。法皇は播磨国の知行国主であったから西下郷は国衙領で、もとは平家が支配していた没官領と考えられる。のちに庄園化した。「勘仲記」弘安四年(一二八一)四月二二日条に「後堀川法華堂領西下郷庄」とあり、室町院の意を受けた勘解由次官藤原兼仲が関白鷹司兼平のもとへ行き、西下郷庄に対する後深草上皇の押妨について、関白の仲介を求めている。室町院暉子内親王は後堀河天皇の第一皇女で、後堀河法華堂には当庄領家職が寄せられていたものか。室町院の死去後に院領は折半され、西下郷庄は大覚寺統の後宇多上皇を経て昭慶門院憙子内親王に伝えられ、亀山上皇の管領下に置かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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