日本歴史地名大系 「西八条邸跡」の解説 西八条邸跡にしはちじようていあと 京都市:下京区八条村西八条邸跡[現在地名]下京区観喜寺町・八条坊門町、南区八条坊門町・八条町鴨(かも)川の東にあった六波羅(ろくはら)屋敷が平正盛以来の平氏旧宅(山槐記)であったのに対し、京中に営まれた平清盛の邸宅。「拾芥抄」東京図には八条坊門小路南、八条大路北、大宮大路西、坊城小路東の方六町の地を西八条殿とし、「仁安元入道大相国清盛公家」と記す。仁安元年(一一六六)に造営されたものとする。「源平盛衰記」巻二六(蓬壺焼失事)によれば蓬壺ともよばれており、「此所をば八条殿の蓬壺とぞ申ける。(中略)入道蓬を愛して、坪の内を一つしつらひて蓬を植、朝夕是を見給へ共、猶不飽足ぞおぼしける。されば不斜造り瑩(みがか)れて、(中略)常は此蓬壺にぞ御座ける」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by