朝日日本歴史人物事典 「西原晁樹」の解説
西原晁樹
生年:天明1.2.15(1781.3.9)
江戸後期の国学者。柳川藩(福岡県)藩士。幼名松寿,通称多門,庄右衛門,釣彦。字君静。号松陰,川隈漁叟。柳川藩士西原種森の子。寛政11(1799)年から近習役となり,加勤として書物方,江戸邸の稽古世話役を命ぜられ,やがて世子,夫人の国学指導を任された。父の隠退後は物頭に転じ,鉄砲頭,宗門人改両役を経て,天保14(1843)年致仕後は国学師範として藩の教育に貢献した。晁樹の国学の師は村田春海,平田篤胤であり,和歌は清水浜臣に学んだ。ほかに伴信友,草場佩川らと親しかった。多芸にして多趣味の人だったが,なかでも釣りが大好きで釣り具のひとつひとつに名を付けていたという。<参考文献>岡茂政「西原晁樹」(『国学者研究』)
(飯倉洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報