西原晁樹(読み)にしはら・あさき

朝日日本歴史人物事典 「西原晁樹」の解説

西原晁樹

没年:安政6.7.27(1859.8.25)
生年:天明1.2.15(1781.3.9)
江戸後期の国学者柳川藩(福岡県)藩士。幼名松寿,通称多門,庄右衛門,釣彦。字君静。号松陰,川隈漁叟。柳川藩士西原種森の子。寛政11(1799)年から近習役となり,加勤として書物方,江戸邸の稽古世話役を命ぜられ,やがて世子,夫人国学指導を任された。父の隠退後は物頭に転じ,鉄砲頭,宗門人改両役を経て,天保14(1843)年致仕後は国学師範として藩の教育に貢献した。晁樹の国学の師は村田春海,平田篤胤であり,和歌清水浜臣に学んだ。ほかに伴信友,草場佩川らと親しかった。多芸にして多趣味の人だったが,なかでも釣りが大好きで釣り具のひとつひとつに名を付けていたという。<参考文献>岡茂政「西原晁樹」(『国学者研究』)

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西原晁樹」の解説

西原晁樹 にしはら-あさき

1781-1859 江戸時代後期の国学者。
安永10年2月15日生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)柳河(やながわ)藩士。和歌を清水浜臣(はまおみ),国学を平田篤胤(あつたね)・村田春海(はるみ)にまなび,藩主やその子女に国学を教授。のち藩校伝習館の国学師範。安政6年7月27日死去。79歳。字(あざな)は君静。通称は庄右衛門,釣彦。号は川隈漁叟。著作に「五十音考葦牙」など。

西原晁樹 にしはら-ちょうじゅ

にしはら-あさき

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西原晁樹」の解説

西原晁樹 (にしはらちょうじゅ)

生年月日:1781年2月15日
江戸時代後期の国学者;筑後柳川藩士;国学師範
1859年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android