日本歴史地名大系 「西台村」の解説 西台村にしだいむら 東京都:板橋区西台村[現在地名]板橋区西台一―四丁目・若木(わかぎ)一―二丁目・舟渡(ふなど)四丁目・徳丸(とくまる)一丁目・同六丁目・高島平(たかしまだいら)一―二丁目・同八―九丁目・新河岸(しんがし)一丁目荒川右岸の武蔵野台地北縁と氾濫原に位置し、東は中台(なかだい)村。「風土記稿」には志村(しむら)庄に属した村としてみえ、志村城の西の台地にあったのが地名由来と伝える。永正一〇年(一五一三)一二月一三日の多田彦六老母寄進状写(円福寺文書)によると、「志村西代」の屋敷や畠が当地の曹洞宗円福(えんぷく)寺に寄進されている。 西台村にしだいむら 福島県:双葉郡浪江町西台村[現在地名]浪江町西台泉田(いずみだ)川左岸にあり、南対岸は権現堂(ごんげんどう)村。東は北幾世橋(きたきよはし)村。泉田川の垂崖上に標葉氏の砦があり、出羽権現を祀ったため権現堂城と称した。標葉氏滅亡後、相馬氏の城代として岡田氏が居館し、岡田氏はその後権現堂氏を称しているので、その当時は権現堂村の一部であったと思われる。慶長七年(一六〇二)権現堂氏が中村(現相馬市)に移ってのち分村したといわれる。正保郷帳では田方八三石余・畑方一八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by