西園寺公と政局(読み)さいおんじこうとせいきょく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西園寺公と政局」の意味・わかりやすい解説

西園寺公と政局
さいおんじこうとせいきょく

最後の元老(げんろう)西園寺公望(きんもち)の政治秘書であった原田熊雄が、職務上知りえたことを口述し記録させたもの。原田熊雄は1926年(昭和1)から40年の西園寺の死に至るまでの14年余、西園寺の秘書として歴代総理など政界上層部との連絡、情報収集にあたった。そのときに直接間接に見聞したことを、30年3月から40年11月まで四百数十回にわたって口述し記録させた。原田自身近衛文麿(このえふみまろ)、木戸幸一(こういち)ら政界上層部に多くの知友をもっており、口述にあたり、できるだけ事実を忠実に記録する態度で臨んだため、昭和初期の政界最上層部の動向を知るうえで、貴重な史料となっている。

[芳井研一]

『『西園寺公と政局』8巻・別巻1(1950~52・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の西園寺公と政局の言及

【原田熊雄】より

…戦時体制が進むと木戸・近衛と疎隔したが,敗戦直前には終戦工作にあずかり憲兵の迫害も受けた。1930年から40年秋の西園寺の死まで彼が見聞した政界上層部の情報を近衛泰子に口述筆記させた,いわゆる〈原田日記〉は,死後〈《西園寺公と政局》〉として公刊され,昭和史の貴重な資料となった。【今井 清一】。…

【原田豊吉】より

…原田はその後結核にかかり,当時最新のR.コッホのツベルクリンによる治療を受けるため91年ドイツに赴き入院したが,翌年帰国,93年地質調査所長を辞任。なお洋画家原田直次郎は実弟,《西園寺公と政局》(原田日記)で知られる政治家原田熊雄(1888‐1946)は長男である。【清水 大吉郎】。…

※「西園寺公と政局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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