西園寺実衡(読み)さいおんじ・さねひら

朝日日本歴史人物事典 「西園寺実衡」の解説

西園寺実衡

没年嘉暦1.11.18(1326.12.13)
生年正応3(1290)
鎌倉時代後期の公家関東申次。父は西園寺公衡。母は権大納言中御門経任の娘。嘉元2(1304)年1月従三位に叙される。元亨2(1322)年8月大納言に進んだが,翌月2度目の関東申次の役職にあった祖父実兼が没すると,鎌倉幕府の承認を得て,この役職についた。正中1(1324)年4月内大臣となるが,嘉暦1(1326)年10月辞し,翌月没。実衡の関東申次時代には,正中の変がおこるなど後醍醐天皇による討幕の機運が高まり,朝廷と幕府の間には問題が山積した。『徒然草』は日野資朝ラディカルな性格に対比する形で,実衡の伝統を重んじる性格を描き出している。

(森茂暁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西園寺実衡」の解説

西園寺実衡 さいおんじ-さねひら

1290-1326 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
正応(しょうおう)3年生まれ。西園寺公衡(きんひら)の子。母は藤原経任の娘。嘉元(かげん)2年従三位。元亨(げんこう)2年大納言にすすみ,同年祖父西園寺実兼の死により家督をついで関東申次(もうしつぎ)に就任。4年内大臣にのぼった。正二位。嘉暦(かりゃく)元年11月18日死去。37歳。今出川前内大臣,竹中殿とよばれた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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