南北朝時代の臨済(りんざい)宗の僧。美作(みまさか)(岡山県北部)の人。俗姓は藤原氏。約翁徳倹(やくおうとくけん)(1245―1320)の印可を受け、1320年(元応2)入元。中峰明本(ちゅうほうみんぽん)(1263―1323)、古林清茂(くりんせいも)(1262―1329)、清拙正澄(せいせつしょうちょう)らに参じ、1326年(嘉暦1)帰朝。俗塵(ぞくじん)を避けて25年間幽居したが、請われて諸寺に住し、1361年(正平16・康安1)近江(おうみ)(滋賀県)の佐々木氏頼(ささきうじより)(1326―1370)の請いにより永源寺(えいげんじ)の開山となった。声望高く、参ずる者2000人に及んだといわれる。1367年(正平22・貞治6)78歳で示寂。勅諡(ちょくし)は円応禅師(えんのうぜんじ)。『永源寂室和尚(わじょう)語録』2巻がある。
[中尾良信 2017年8月21日]
(佐藤秀孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…創建時は飯高山と号し,寺号は山上寺ともいう。佐々木氏頼は愛知(えち)川渓谷高野の幽境に後光厳院の勅を奉じて伽藍を営み,1361年(康安1)寂室元光(1290‐1367)を開山に請うて開創し,翌年愛智郡山上郷熊原村を寄進して寺領とした。寺領は将軍足利義満,義持,義政などが安堵し,また佐々木氏は夫役諸公事課役等を免除して経済的保護を加えた。…
※「寂室元光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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