日本大百科全書(ニッポニカ) 「管見記」の意味・わかりやすい解説
管見記
かんけんき
西園寺(さいおんじ)家に伝来した同家歴代公衡(きんひら)・公名(きんな)・実遠(さねとお)・公藤(きんふじ)などの日記を中心とする古記録・古文書類一括全105巻の総称。本来はそのなかで量的にもっとも多い「公名公記」の別称であったものが、のち全体の呼び名となったものとされる。『西園寺家記録』『西園寺家代々記録』ともいう。歴代記では「公衡公記」が1283年(弘安6)より1315年(正和4)まで18巻、「公名公記」が1428年(正長1)より1459年(長禄3)まで30巻、「実遠公記」が1453年(享徳2)より1482年(文明14)まで8巻、「公藤公記」が1501年(文亀1)より1510年(永正7)まで8巻、「実宣(さねのぶ)公記」が1522、23年(大永2、3)1巻などである。ほかに「鳥羽院(とばいん)土御門殿(つちみかどどの)遷幸記」1117年(永久5)などの他家記録、「白河院(しらかわいん)郁芳門院(いくほうもんいん)日吉御幸部類記」1091年(寛治5)などの部類記、および公事次第(くじしだい)、その他典籍文書若干を含む。1942年(昭和17)西園寺家より宮内省に納められ、現在宮内庁書陵部蔵。1939年(昭和14)、全巻コロタイプ複製された。ほかに諸伝本が各所に伝わっている。平安末期より室町時代に及ぶ有職故実(ゆうそくこじつ)、朝幕関係等の貴重資料である。
[名和 修]