日本歴史地名大系 「西太田遺跡」の解説 西太田遺跡にしおおたいせき 群馬県:伊勢崎市安堀村西太田遺跡[現在地名]伊勢崎市安堀町御富士山(おふじやま)古墳の南西に広がる畑地帯、荒砥(あらと)川左岸の河岸段丘上にある。東方の水田との比高約一メートルで、標高は七〇メートルほど、河川敷との比高は六・五メートル。荒砥川は浸食谷を形成しながら南流し、遺跡のすぐ南で広瀬(ひろせ)川と合流する。昭和五六年(一九八一)・五七年に、都市計画道路の改良工事に伴い調査された。弥生―平安時代の住居跡二〇九軒、井戸一七基、溝八条、掘立柱遺構九棟、円形大型ピット一〇基、墓壙、砂鉄・粘土の集積遺構、土壙などが検出された。住居跡の内訳は、鬼高II式を中心とした古墳時代のものが大半で、奈良・平安時代のものが約二割、弥生時代のものが四軒。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by