西寛二郎(読み)ニシ カンジロウ

20世紀日本人名事典 「西寛二郎」の解説

西 寛二郎
ニシ カンジロウ

明治期の陸軍大将,子爵



生年
弘化3年3月10日(1846年)

没年
明治45(1912)年2月28日

出生地
薩摩国(鹿児島県)

経歴
幼少より薩摩藩主島津久光に近侍して京薩を間を往来する。明治元年戊辰戦争では遊撃隊長として、鳥羽伏見の戦いをはじめ、会津越後転戦。4年陸軍中尉。10年西南戦争にも従軍し、以後歩兵第11連隊長、参謀本部第1局長。歩兵第11旅団長を歴任。日清戦争に際し、陸軍少将・歩兵第2旅団長として従軍、金州・旅順の攻略に功を立てて、戦後男爵を授けられ、28年陸軍中将。日露戦争では第1軍に属し、第2師団長として鴨緑江の戦、九連城攻撃に活躍、特に摩天嶺でケルレル率いるロシア軍を破り勇名をはせた。ついで遼陽、沙河、奉天の三大激戦に参加、37年陸軍大将に進み、戦後子爵となる。のち遼東守備軍司令官、教育総監軍事参議官などを歴任。44年待命となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西寛二郎」の解説

西寛二郎 にし-かんじろう

1846-1912 幕末-明治時代の武士,軍人
弘化(こうか)3年3月10日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。戊辰(ぼしん)戦争では,鳥羽・伏見,会津(あいづ)などを転戦。維新後,西南戦争,日清(にっしん)・日露戦争に従軍。明治37年陸軍大将。のち教育総監,軍事参議官を歴任した。子爵。明治45年2月28日死去。67歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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