魏志倭人伝(読み)ぎしわじんでん

精選版 日本国語大辞典 「魏志倭人伝」の意味・読み・例文・類語

ぎし‐わじんでん【魏志倭人伝】

中国の正史「三国志」の「魏志(魏書)」にある「東夷伝‐倭」の条の通称。晉の陳寿撰。魚豢(ぎょけん)の「魏略」により、三世紀前半における耶馬台国などの日本の地理、風俗、社会、外交などについてまとまって記した最古のもの。

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デジタル大辞泉 「魏志倭人伝」の意味・読み・例文・類語

ぎし‐わじんでん【魏志倭人伝】

魏志にある東夷とうい伝の倭人に関する記事の通称。3世紀前半ごろの日本の地理・風俗・社会・外交などをかなり詳細に記述している、最古のまとまった文献。

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百科事典マイペディア 「魏志倭人伝」の意味・わかりやすい解説

魏志倭人伝【ぎしわじんでん】

3世紀末,西晋の陳寿が編纂(へんさん)した中国の史書《三国志》のうち,魏に関する部分を《魏志(魏書)》と呼び,その〈東夷伝〉中にみえる倭人の条を魏志倭人伝と通称する。日本に関する最古の中国側文献として史料的価値がきわめて高い。当時の日本(倭)には邪馬台(やまたい)国という国があって女王卑弥呼(ひみこ)が治め,30ばかりの国を従えて威をふるっていたことや,倭国の政治・外交・社会秩序・風俗・習慣・産物等が約2000字にわたって記されている。
→関連項目伊都国絹織物狗奴国狗邪韓国投馬国東夷奴国原ノ辻遺跡平原遺跡倭人

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「魏志倭人伝」の意味・わかりやすい解説

魏志倭人伝
ぎしわじんでん

中国の史書『三国志』の「魏書東夷伝(とういでん)」の倭人の条の俗称で、撰者(せんじゃ)は晋(しん)の陳寿(ちんじゅ)。3世紀の後半に成立。本書に書かれている倭の記事は、2~3世紀の時代に相当し、本書の成立の時代と接近しており、かなりの史実がみられると考えられるので、当時の日本および日本人の生活ぶりを知るのに重要な史料として位置づけられている。

 本書には、朝鮮の帯方(たいほう)郡より倭の諸国に至る道程、地理的景観、風俗、物産、政治、社会などのようすが比較的詳細に書き留められている。またよく知られている邪馬台国(やまたいこく)やその国の女王卑弥呼(ひみこ)のことが、つぶさに記述されており、卑弥呼が「共立」されて王となったなど、当時の王のあり方を知るのに、またとない情報を提供してくれている。さらに邪馬台国の帯方郡や魏との交渉の次第や、狗奴(くな)国との戦いのようすも記されており、魏の皇帝の詔書に金印紫綬(しじゅ)を仮授させたこと、銅鏡100枚などを賜ったことなどに触れてあるのは、史料的にも見すごせない箇所となっている。末尾には、卑弥呼の死と、その後の倭国の混乱、そして卑弥呼の宗女壹与(いよ)の即位、さらに魏との通交のことが述べられている。

佐伯有清

『和田清・石原道博編・訳『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「魏志倭人伝」の意味・わかりやすい解説

魏志倭人伝
ぎしわじんでん

日本古代に関する中国の正史の一つで,晋の陳寿が撰した『三国志』のなかの『魏志』 30巻,東夷伝にある倭人の条の通称。中国の歴史書のなかで日本に言及しているのは,後漢の班固の撰した『漢書』 (120巻) のなかの地理志が最古であるが,『魏志倭人伝』はこれに次ぐものである。倭人伝の条は,『漢書』の地理志と,陳寿と同時代の魚豢による『魏略』 (現在散逸し,逸文がところどころに引かれている) その他当時存在していた資料を集綴したものである。このあと,『魏志倭人伝』に類するものとして宋 (南北朝) の范曄が撰した『後漢書』の東夷伝がある。『魏志倭人伝』の最大の問題点は,女王卑弥呼 (ひみこ。ひめこ) の邪馬台国の所在についてである。漢は朝鮮半島京城付近一帯に楽浪郡中の帯方県をおいて治めたが,後漢の末 (3世紀初め) ,郡に昇格させ,韓民族や倭人に対する中国の門戸とし,魏もこれにならった。この帯方郡から邪馬台国までを一万二千余里としたのが『魏志倭人伝』の記事である。途中,狗邪韓国,対馬国,一支国 (壱岐) ,末盧国 (松浦) ,伊都国 (怡土) ,不弥国,奴国,狗奴国,投馬国などについて触れ,それぞれ距離と方向も示している。江戸時代以来,この記事をめぐり,邪馬台国が北九州であるか畿内大和 (奈良県) であるか,学者の間で議論が分れる。当時の里程と方位が,どの程度今日の地図上におきうるかという点も問題であるが,邪馬台国について詳細に記し,さらに小国家分立の様子や風俗習慣にまで言及しており,大和朝廷との関係で無視することができない。なお『日本書紀』の編纂者は,この倭人伝を参照したと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「魏志倭人伝」の意味・わかりやすい解説

魏志倭人伝 (ぎしわじんでん)

3世紀の邪馬台国,および2~3世紀の倭人の風習などが記されている中国の文献。《三国志》魏書東夷伝の中の一部を通称したもの。著者は西晋の陳寿(233-297)で,その成立は3世紀後半。陳寿とほぼ同時代の魚豢の撰になる《魏略》の記述を受けつぎ,邪馬台国の存在していた時代とは,それほど隔りのない時期に書かれたものであるから,その史料的価値は高い。倭人伝は,倭国の地理的位置づけから書きはじめられ,帯方郡より邪馬台国への道程,倭にあった諸小国の名称,倭人の生活風俗などが,かなり詳細に記述されている。なかでも女王の卑弥呼が共立によって王となったありさま,邪馬台国の政治のあり方,卑弥呼の王としての姿が活写されており,また239年(魏の景初3)から247年(正始8)までの魏との通交のことが克明に書きとめられている。邪馬台国までの日程,距離の記述の解釈には難解さがあって,同国の所在をめぐる〈邪馬台国論争〉は未解決
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「魏志倭人伝」の解説

魏志倭人伝
ぎしわじんでん

陳寿(ちんじゅ)撰の「三国志」の一書「魏書」の東夷伝の倭人(わじん)条のこと。「魏志倭人伝」は通称。成立は3世紀後半で,宋の范曄(はんよう)撰「後漢書」より1世紀以上早く,史料価値は高い。内容は,邪馬台国(やまたいこく)を中心とする3世紀の倭人社会に関するもので,まず,帯方郡から邪馬台国までの道程と途中の国名を記す。その記述に距離と方角の点で矛盾があるため,江戸時代から邪馬台国の比定地をめぐって,畿内説と北九州説が対立している。続いて,倭人の風俗,女王卑弥呼(ひみこ)の鬼道や男弟の存在など邪馬台国のようす,さらに魏と邪馬台国の交流を記している。とくに卑弥呼を親魏倭王としたとあるのは,周辺民族としてはきわめて異例なものとして注目されている。「岩波文庫」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「魏志倭人伝」の解説

魏志倭人伝
ぎしわじんでん

中国の正史『三国志』のうち,『魏書』巻30の中にある一伝
3世紀末,晋の陳寿 (ちんじゆ) の撰。特に一伝をなすのではなく,「東夷伝」中に倭人の記録があり,通称これを「倭人伝」と呼ぶ。3世紀の日本を記した重要な史料で,帯方郡からの道程,倭国の地理・風俗・産物・政治・社会や邪馬台国 (やまたいこく) 女王卑弥呼 (ひみこ) ,帯方郡・魏との通交を記す。記録には誇張や誤記がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「魏志倭人伝」の解説

魏志倭人伝
ぎしわじんでん

3世紀後半晋の陳寿 (ちんじゆ) が書いた『三国志』中の「魏志」東夷伝倭人 (とういでんわじん) 条の俗称
内容の大半は魚豢 (ぎよけん) の『魏略』による。耶馬台国の女王卑弥呼のことや,3世紀の日本の状況を詳細に記録し,日本古代史研究の重要史料。

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防府市歴史用語集 「魏志倭人伝」の解説

魏志倭人伝

3世紀に西晋[せいしん]の陳寿[ちんじゅ]が作った歴史書『三国志[さんごくし]』の一部です。魏志倭人伝というのは通称で、正式には『魏書東夷伝倭人条[ぎしょとういでんわじんのじょう]』と言います。弥生時代の日本や卑弥呼[ひみこ]のことが書かれています。

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とっさの日本語便利帳 「魏志倭人伝」の解説

魏志倭人伝

「魏志」の末尾に「烏丸鮮卑東夷伝」が置かれていて、そのまた最後の「倭人条」のこと。ここに当時の邪馬台国や倭の国々、倭人のくらしの様子、女王卑弥呼による朝献のことが記されている。

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世界大百科事典(旧版)内の魏志倭人伝の言及

【邪馬台国】より

…その所在地は,北部九州とも畿内大和ともいわれている。《魏志倭人伝》の版本に〈邪馬壹国〉とあるので,〈邪馬壱(壹)国(やまいちこく)〉とするのが正しいとする説があるが,中国の古い諸書に引用された《魏志》には〈邪馬臺(台)国〉とあるので,〈邪馬壱国〉説は疑わしい。《魏志倭人伝》によると,邪馬台国は,女王の都する所で,官に伊支馬(いきま),弥馬升(みましよう),弥馬獲支(みまかくき),奴佳鞮(ぬかてい)の四つがあり,7万余戸の人口があったという。…

※「魏志倭人伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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