コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

魏志倭人伝 ぎしわじんでん

9件 の用語解説(魏志倭人伝の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

魏志倭人伝
ぎしわじんでん

日本古代に関する中国の正史の一つで,晋の陳寿が撰した『三国志』のなかの『魏志』 30巻,東夷伝にある倭人の条の通称。中国の歴史書のなかで日本に言及しているのは,後漢の班固の撰した『漢書』 (120巻) のなかの地理志が最古であるが,『魏志倭人伝』はこれに次ぐものである。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

魏志倭人伝

中国・晋の陳寿(233〜297)の手による三国志の一部。3世紀ごろの倭人社会の様子や風俗を描写し、外交記事も収める。朝鮮半島から邪馬台国までのクニグニが記されているが、その距離と方角で解釈が割れ、邪馬台国の位置をめぐっては畿内説と九州説が長く対立してきた。

(2007-01-12 朝日新聞 夕刊 文化)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ぎし‐わじんでん【魏志倭人伝】

魏志にある東夷(とうい)伝の倭人に関する記事の通称。3世紀前半ごろの日本の地理・風俗・社会・外交などをかなり詳細に記述している、最古のまとまった文献。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

魏志倭人伝【ぎしわじんでん】

3世紀末,西晋の陳寿が編纂(へんさん)した中国の史書《三国志》のうち,魏に関する部分を《魏志(魏書)》と呼び,その〈東夷伝〉中にみえる倭人の条を魏志倭人伝と通称する。
→関連項目伊都国絹織物狗奴国狗邪韓国投馬国東夷奴国原ノ辻遺跡平原遺跡倭人

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

とっさの日本語便利帳の解説

魏志倭人伝

「魏志」の末尾に「烏丸鮮卑東夷伝」が置かれていて、そのまた最後の「倭人条」のこと。ここに当時の邪馬台国や倭の国々、倭人のくらしの様子、女王卑弥呼による朝献のことが記されている。

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

防府市歴史用語集の解説

魏志倭人伝

3世紀に西晋[せいしん]の陳寿[ちんじゅ]が作った歴史書『三国志[さんごくし]』の一部です。魏志倭人伝というのは通称で、正式には『魏書東夷伝倭人条[ぎしょとういでんわじんのじょう]』と言います。弥生時代の日本や卑弥呼[ひみこ]のことが書かれています。

出典|ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ぎしわじんでん【魏志倭人伝】

3世紀の邪馬台国,および2~3世紀の倭人の風習などが記されている中国の文献。《三国志》魏書東夷伝の中の一部を通称したもの。著者は西晋の陳寿(233‐297)で,その成立は3世紀後半。陳寿とほぼ同時代の魚豢の撰になる《魏略》の記述を受けつぎ,邪馬台国の存在していた時代とは,それほど隔りのない時期に書かれたものであるから,その史料的価値は高い。倭人伝は,倭国の地理的位置づけから書きはじめられ,帯方郡より邪馬台国への道程,倭にあった諸小国の名称,倭人の生活風俗などが,かなり詳細に記述されている。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ぎしわじんでん【魏志倭人伝】

「魏書東夷伝」にある倭人に関する記事の称。邪馬台国やまたいこくとその女王卑弥呼ひみこについて記されており、三世紀の日本の政情・風俗などを知りうる文献。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

魏志倭人伝
ぎしわじんでん

中国の史書『三国志』の「魏書東夷伝(とういでん)」の倭人の条の俗称で、撰者(せんじゃ)は晋(しん)の陳寿(ちんじゅ)。3世紀の後半に成立。本書に書かれている倭の記事は、2~3世紀の時代に相当し、本書の成立の時代と接近しており、かなりの史実がみられると考えられるので、当時の日本および日本人の生活ぶりを知るのに重要な史料として位置づけられている。
 本書には、朝鮮の帯方(たいほう)郡より倭の諸国に至る道程、地理的景観、風俗、物産、政治、社会などのようすが比較的詳細に書き留められている。またよく知られている邪馬台国(やまたいこく)やその国の女王卑弥呼(ひみこ)のことが、つぶさに記述されており、卑弥呼が「共立」されて王となったなど、当時の王のあり方を知るのに、またとない情報を提供してくれている。さらに邪馬台国の帯方郡や魏との交渉の次第や、狗奴(くな)国との戦いのようすも記されており、魏の皇帝の詔書に金印紫綬(しじゅ)を仮授させたこと、銅鏡100枚などを賜ったことなどに触れてあるのは、史料的にも見すごせない箇所となっている。末尾には、卑弥呼の死と、その後の倭国の混乱、そして卑弥呼の宗女壹与(いよ)の即位、さらに魏との通交のことが述べられている。[佐伯有清]
『和田清・石原道博編・訳『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(岩波文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の魏志倭人伝の言及

【邪馬台国】より

…その所在地は,北部九州とも畿内大和ともいわれている。《魏志倭人伝》の版本に〈邪馬壹国〉とあるので,〈邪馬壱(壹)国(やまいちこく)〉とするのが正しいとする説があるが,中国の古い諸書に引用された《魏志》には〈邪馬臺(台)国〉とあるので,〈邪馬壱国〉説は疑わしい。《魏志倭人伝》によると,邪馬台国は,女王の都する所で,官に伊支馬(いきま),弥馬升(みましよう),弥馬獲支(みまかくき),奴佳鞮(ぬかてい)の四つがあり,7万余戸の人口があったという。…

※「魏志倭人伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

魏志倭人伝の関連キーワード狗奴国投馬国末盧国邪馬台国一大率壱与邪馬台国・耶馬台国臺與邪馬台国論争と纒向遺跡邪馬台国論争

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

魏志倭人伝の関連情報