西方院山城跡(読み)さいほういんやまじようあと

日本歴史地名大系 「西方院山城跡」の解説

西方院山城跡
さいほういんやまじようあと

[現在地名]奈良市高畑町

瑜伽ゆうが神社の裏山、標高一一一メートルの瑜伽山上に所在。「経覚私要鈔」によれば文安元年(一四四四)古市胤仙らが築城を始め、途中で中止されそのまま放置されたが、「大乗院雑事記」文明九年(一四七七)一〇月一三日条に「古市胤栄・澄胤兄弟自河内之教興寺馳上奈良(防)禦甲百余在之、今夜西方院山天満社ニ取陣」の記事がみえ、同一〇年に越智方は廃城された鬼薗山きおんやま城の再構を大乗院に申出たが許可されず、代案として西方院山に築城を計画した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

選挙公職を争うとき,政党や候補者が,当選後実現すべき政策について有権者に向けて表明する約束。当選者が選挙公約に拘束され,実現の努力を行うことは責任政治の重要な構成要素である。...

公約の用語解説を読む