日本歴史地名大系 「西水主町」の解説 西水主町にしかこまち 兵庫県:明石市明石城下西水主町[現在地名]明石市材木町(ざいもくちよう)当津(とうづ)湊の西側、材木町の宝林(ほうりん)寺前にある。西は五分一(ごぶのいち)町、南は馬駆場を経て新浜(しんはま)、東は戎(えびす)町・船(ふな)町。明石藩船奉行配下の水主組が居住した家中町の一つ。文久三年(一八六三)の明石町旧全図に町名がみえる。城下には湊を挟んで東側にあった中崎(なかさき)にも水主組が置かれていたことから、中崎の水主町に対し西水主町とよんだ。 西水主町にしかこまち 岐阜県:大垣市大垣城下西水主町[現在地名]大垣市船町(ふなまち)大垣城の南西に位置する大垣藩主抱えの水主の居住地域。初め水主町と称したが、享保城下絵図には船町の南の南流する水門(すいもん)川両岸に水主町の名がみえ、西岸を西水主町と称したとされる(新修大垣市史)。宝暦一一年(一七六一)五月、当町長屋三筋が焼失(大垣市史)、文化一〇年(一八一三)一二月には西水主町・船町で一〇〇戸が焼失(新修大垣市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by