日本歴史地名大系 「東水主町」の解説 東水主町ひがしかこまち 兵庫県:明石市明石城下東水主町[現在地名]明石市相生町(あいおいちよう)二丁目当津(とうづ)湊の東岸で、湊に続く内(うち)川により区切られた一画の同川沿いの町。西側には藩主の御茶屋と藩の御米蔵があり、また南側は中崎(なかさき)とよばれ明石海峡に面していた。内川の水際には藩の御船登場があり、同川を挟んで対岸には北側に藩主の御船宮が、その西には鍛冶屋(かじや)町の浜光明(はまこうみよう)寺があった。東側は両馬(りよば)川を挟んで大蔵谷(おおくらだに)宿。明石藩船奉行配下の水主組が居住した家中町の一つ。 東水主町ひがしかこまち 岐阜県:大垣市大垣城下東水主町[現在地名]大垣市船町(ふなまち)・寺内町(じないちよう)大垣城の南西に位置する大垣藩主抱えの水主の居住地域。初め水主町と称したが、南流する水門(すいもん)川の両岸に位置したため、東岸を東水主町、西岸を西水主町と称したとされる(新修大垣市史)。享保城下絵図には、船町の南の水門川両岸に水主町と記される。宝暦三年(一七五三)の家数は東西ともで三三(新修大垣市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by