西深井村(読み)にしふかいむら

日本歴史地名大系 「西深井村」の解説

西深井村
にしふかいむら

[現在地名]流山市西深井

平方ひらかた村の北、江戸川の東岸に位置し、東方の台地に向けて大きく切込んだ谷の南側に開ける。北は山崎やまざき(現野田市)、東は台地を境に東深井村。古くは東深井村と併せて深井と称したと思われ、「本土寺過去帳」にみえる文正二年(一四六七)四月に野田で討たれて死んだ妙道(中・一四日条)俗名は「フカイノ二郎太郎」であった。また同過去帳には明応七年(一四九八)六月に没した徳阿弥には「フカイ四郎二郎」とあるほか、「フカイニテ打死」「フカイヨコマチ」など深井の地名が散見する。寛永二年(一六二五)の旗本本多正貫の領知目録写に「西深井村三八二石余」とみえる。以後も幕末に至るまで当村の領主は本多氏であった。同氏は元禄元年(一六八八)正貫の子正永が加増され一万石を領して大名に列し、同一六年には上野沼田藩主となり、享保一五年(一七三〇)正矩の代に移封により駿河田中藩主となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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