西片岡村
にしかたおかむら
[現在地名]岡山市西片岡・正儀
西幸崎村・南幸田村の南、半島状に西へ突き出た山ノ神山(一四九・一メートル)を中心とする山塊北麓に位置し、西は水門湾、南は瀬戸内海に面する。「吉備温故秘録」には「古へは、東西片岡村一村にして、入賀村といいしなり」とある。平安中頃には山城石清水八幡宮寺領の片岡庄(別宮)が成立。治安三年(一〇二三)一〇月五日の極楽寺陳状(石清水文書)によれば、同宮寺下院の極楽寺とともに定清の門胤が相伝する庄家八ヵ所の一つであった。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(同文書)で領家預所以下庄官などの掠領を禁じた同宮寺領に片岡別宮があり、元暦二年(一一八五)正月九日の源頼朝下文(同文書)で兵粮米および狼藉の停止を命ぜられた同宮領にみえる。嘉元二年(一三〇四)八月一二日の後宇多上皇院宣(同文書)で伊勢神宮役夫工米が免除されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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