西田武雄(読み)ニシダ タケオ

20世紀日本人名事典 「西田武雄」の解説

西田 武雄
ニシダ タケオ

大正・昭和期の版画家



生年
明治27(1894)年7月11日

没年
昭和36(1961)年7月26日

出生地
三重県一志郡七栗村森

学歴〔年〕
横浜商卒,本郷洋画研究所修了

経歴
6歳の頃横浜市の大川福松の養子となる。大正2年文展に初入選。翌4年西田家へ戻る。7年本郷美術研究所に入り岡田三郎助師事。10年中国へ旅行し、11年帰国。14年画廊「室内社」を開き、昭和13年には広山インキ株式会社を設立。18年恩地孝四郎らと版画奉公会を創立。同年室内社が戦災にあい郷里に疎開。画廊経営、日本近代美術の研究など多方面で活躍する一方、エッチングを独習してその普及に努めた。7年雑誌「エッチング」を創刊門下からは駒井哲郎など多くのエッチャーが出ている。著書に「エッチングの描き方」「画工志願」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西田武雄」の解説

西田武雄 にしだ-たけお

1894-1961 大正-昭和時代の版画家。
明治27年7月11日生まれ。大正7年本郷洋画研究所にはいり岡田三郎助に師事,銅版画も独習する。昭和6年日本エッチング研究所を設立し,7年雑誌「エッチング」を創刊。銅版画の普及につとめ,門下に駒井哲郎,関野凖一郎らがいる。昭和36年7月26日死去。67歳。三重県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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