日本歴史地名大系 「西稲村」の解説 西稲村にしいなむら 大阪府:箕面市西稲村[現在地名]箕面市稲(いな)牧落(まきおち)村の東にある。村の南部は千里丘陵の北端部にあたり、千里川が西流、ほぼ中央部を西国街道が東西に通る。集落は街道沿いにあり、東稲村集落と入組んでいる。豊島(てしま)郡に属する。中世は萱野(かやの)郷に含まれ、地名は応永一一年(一四〇四)一二月三日の如法経奉加帳(勝尾寺文書)に「一品 イナ臼井殿」とみえる。近世初頭までは東稲村と一村で稲村とよばれていた。西稲村の村名は正保四年(一六四七)七月の水論済口証文(四大字水利組合文書)に「かやの西いな村」とみえ、寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳には「西伊奈村」が記される。文禄検地頃、当村を含む萱野郷は薩摩の島津氏や石田三成の知行地(中井家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報