大井堰
おおいせぎ
梓川から引水した堰。右岸の波田・三溝(ともに現波田町)、新村・和田・島立・島内・神林(ともに現松本市)の水田を潤す大規模な堰である。
成立は古代の大井郷の頃からと考えられ、松本市新村・和田・島内地区には今も古代の条里的遺構の水田が残っている。古代の開発に続き、中世から近世に及んでいる。推古天皇の時、聖徳太子が摂津の荒陵寺(四天王寺)に施入した封戸の中で「信濃国荒田郷五十烟」の記録が「諸寺縁起集」の中にみえているが、この荒田郷は「和名抄」にみえている大井郷の前身で、この地域にあたる。
江戸時代には大井堰・和田堰とよんだが、現在はもっぱら和田堰とよぶ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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