日本大百科全書(ニッポニカ) 「西端藩」の意味・わかりやすい解説
西端藩
にしばたはん
江戸後期、三河国碧海(へきかい)郡西端(愛知県碧南市)に陣屋を構えた譜代(ふだい)藩。領地1万5000石のうち、4000石が碧海郡にあり、ほかは安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、伊豆(いず)国に分散。1864年(元治1)に藩として成立。藩主は本多忠寛(ほんだただひろ)、忠鵬(ただゆき)の2代。西端には1616年(元和2)本多忠相(ただすけ)が碧海郡に1000石を給せられて以来、同氏の陣屋があった。忠寛は忠相から数えて10代目にあたる。西端藩の朱印高は9000石で万石に満たなかったが、忠寛が幕末の混乱期に藩としての任務を果たすことを願い出て、それが許可されて藩に取り立てられた。1871年(明治4)廃藩となり、西端県、額田(ぬかた)県を経て、翌年愛知県に編入される。
[渡辺和敏]
『『愛知県史 第2巻』(1938・愛知県)』