西長峰遺跡(読み)にしながみねいせき

日本歴史地名大系 「西長峰遺跡」の解説

西長峰遺跡
にしながみねいせき

[現在地名]阿波町 西長峰

吉野川に面した長峰台地西端の支脈標高約八〇メートルにある弥生時代中期末から後期集落で、盛期は後期初頭。平成二年(一九九〇)・同三年県営西長峰工業団地造成に伴って調査、竪穴住居跡二六棟・掘立柱建物跡一六棟のほか、溝・土坑が検出された。集落は東西五〇メートル、南北二〇〇メートルの範囲に広がると推定され、一時期に一〇棟前後の住居が建っていたとみられている。建物群の配置は、台地平坦面中央部に東西に主軸をもつ掘立柱建物群が位置し、その外周・台地縁辺部に竪穴住居群が展開する構成をとっている。台地中央部に位置する大型掘立柱建物三棟は同一場所で建替えられたもので、一号・二号建物は梁間一間・桁行四間、三号建物は梁間一間・桁行三間の構造をとる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む