日本歴史地名大系 「西阿知村」の解説 西阿知村にしあちむら 岡山県:倉敷市旧浅口郡地区西阿知村[現在地名]倉敷市西阿知町東・西両高梁(たかはし)川に囲まれた河内の西部に位置し、鴨方(かもがた)往来が村中央を東西に抜け一里塚が村東部にあった。明徳五年(一三九四)の新見庄算用状(教王護国寺文書)などによれば、同庄への御教書は「にしあち」で受取っており、同庄から当地までの路銭や在津費用が記され、応永元年(一三九四)の同庄西方年貢算用状(同文書)では当地で食糧の麦を購入、また同八年の領家方所下帳(同文書)には当地への船賃一〇〇文がみえる。永享元年(一四二九)の備中国惣社宮造営帳写(池上文書)によると、随兵の紺掻役・魚ウリ役として「西阿知ノアキント」も勤仕する。文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」にみえる西宛は当地と推定され、米・大麦・紙を積んだ西宛からの船が兵庫北関へ入津している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報